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東京高等裁判所 昭和56年(ネ)268号 判決 1982年10月14日

控訴人 小菅光雄

<ほか三名>

右控訴人四名訴訟代理人弁護士 横幕武徳

宮崎保興

鎌田哲成

被控訴人 平井昭典

右訴訟代理人弁護士 藤井暹

西川紀男

橋本正勝

太田真人

右訴訟復代理人弁護士 水沼宏

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

〔控訴人ら〕

(一)  原判決を取り消す。

(二)  被控訴人は、

(1) 控訴人小菅光雄に対し、金一一七〇万七七四三円及び内金一〇七〇万七七四三円に対する昭和四六年六月一日以降完済まで年五分の割合による金員

(2) 控訴人小菅雄一郎、同小菅英二郎に対し、各金九七九万七七四三円及び内金八九〇万七七四三円に対する右同日以降完済まで年五分の割合による金員

(3) 控訴人橋本米に対し、金八八万円及び内金八〇万円に対する右同日以降完済まで年五分の割合による金員

の支払をせよ。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

〔被控訴人〕

主文第一項同旨の判決

第二主張

次のとおり付加又は変更するほかは原判決事実摘示中「第二 当事者の主張」のとおりであるから、これを引用する。

〔控訴人らの主張〕

1  原判決三枚目裏四行目の次に、次のとおり付加する。

「(三) なお、右大量出血は、いわゆる弛緩性出血であって、被控訴人主張のように播種性血管内凝固症候群(disseminated intravascular coagulation―以下専ら「DIC」という。)に基づくものではない。仮にDICが存したとしても、それは弛緩性出血による大量出血の結果二次的に生じたものであって、このことは、分娩前に嘉子にみられた後記のような諸症状や被控訴人が止血処置として双手圧迫、強填タンポン、子宮内清掃等の処置を行っていること、DICの原因となるべき羊水栓塞、早産、常位胎盤早期剥離等の基礎疾患が嘉子にみられないことから推測するに難くない。」

2  原判決三枚目裏九、一〇行目の「分娩時における」の次に「弛緩性の」を加え、同一一行目の冒頭に「また、後記貧血は出血性ショックに対する身体の抵抗力を弱めるものであるから、」を加える。

3  原判決四枚目表四行目の次に、次のとおり付加する。

「そもそも分娩時には事前の兆候の有無にかかわりなく大量出血という事態が起こりうるのであり、しかも、それが極めて危険なものであることは、統計上妊・産褥婦の死亡分類で出血によるものが三九・一パーセントを占めている(昭和四三年の厚生省人口動態統計による。)ことからも明らかである。まして、嘉子には後記のような諸症状がみられたのであるから、被控訴人としては事前に保存血を確保し、また、嘉子の近親者等につき同一の血液型の血液提供者のリストを作成するなどして必要に応じ速やかに輸血を実施できるよう準備を整えておく義務があった。当時の保存血の供給体制が十分なものでなかったとしても、それは、右のような義務を肯定する根拠にこそなれ、これを否定する理由となるものではない。」

4  原判決四枚目裏三行目の冒頭に「そのうえ右七日から二〇日までの間貧血傾向を示す一週間平均一キログラムにも及ぶ急激な体重増加があって、」を加え、同七、八行目の「であった。」を「であり、分娩が遷延していた。」と改める。

5  原判決五枚目裏三行目の次に「仮に被控訴人がその主張するようにフィブリノーゲン製剤を使用したとしても、その量は二グラムにすぎず、血液凝固障害の改善に十分な量とはいえない。」と、同五行目の次に「なお、出血性ショックに対し昇圧剤が禁忌であることは当時既に多くの文献に述べられており、一般開業医の間でも理解されていた事柄である。」とそれぞれ付加する。

〔被控訴人の主張〕

1  原判決一一枚目表二行目から六行目までを次のとおり改める。

「(五) 嘉子の死因となった大量出血は、前記のような経緯からみて、急性・激症型の原発的(第一次的)DICによるものとみるべきであり、右DICは基礎的疾患を伴わないタイプのものであったと考えられる。被控訴人が右大量出血に対してとった処置は、分娩時の大量出血に対して行われる一般的な処置であって、右処置が行われたことから弛緩性出血があったものということはできない。そして、控訴人らが出血の予兆として指摘する諸症状のうち、貧血、浮腫ないし妊娠中毒症、巨大児分娩は大量出血と因果関係がなく、遷延分娩はその事実自体がなく、前記DICは分娩開始後特にその第三期に突如発現するものであるから、被控訴人にとって本件大量出血を予測することは不可能であった。また、このような予測できない事態に備えて予め保存血、新鮮血の手配をしておくべきだとすることも、昭和四三年当時の血液供給に関する諸条件の下では、被控訴人のような地方の一開業医にとって過大な要求である。

(六) 被控訴人がフィブリノーゲン製剤を二グラムしか使用しなかったのは、嘉子の死亡までの間にそれだけしか使い切れなかったためである。また、被控訴人が昇圧剤を使用したことは認めるが、ショック時における昇圧剤の使用を不可とする理論については当時一般開業医の間で十分な理解が得られていない状況にあった。」

第三証拠関係《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、控訴人光雄は嘉子の夫であり、控訴人雄一郎、同英二郎はいずれも控訴人光雄と嘉子との間に生れた子であり、控訴人橋本米は嘉子の実母であることが認められる。

被控訴人が肩書住所地で平井医院を経営している産婦人科医であることは、当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によれば、嘉子は、昭和四二年一〇月七日平井医院において被控訴人の診察を受けた結果妊娠と診断され、以後ほぼ継続的に同医院に通院し、被控訴人の指示に従って後記のとおり同医院に入院して出産するに至ったことが認められ、これによれば、右妊娠及び出産につき両者の間に診療契約(準委任契約)が成立したものであることは明らかである。なお、《証拠省略》によれば、右契約は国民健康保険法による保険診療を行うことを内容とするものと認められるが、この場合にも診療契約は患者と当該医師との間に成立するものと解するのを相当とし、患者と保険者との間に成立するものとみるべきではない。

三  前記一〇月七日の診察の結果、分娩予定日は昭和四三年五月一五日と診断され、嘉子は引続き被控訴人の診療を受け、同月二二日平井医院において女児を分娩したが、分娩後の大量出血のため同日午後二時三〇分ごろ死亡した。以上の事実は、当事者間に争いがない。

右死亡に至るまでの嘉子の身体的状況の経過及びこれに対して被控訴人のとった処置についてみると、《証拠省略》を総合すると、以下の各事実が認められる。

(一)  嘉子は、昭和三八年七月一九日に控訴人雄一郎を、昭和四〇年八月二五日に控訴人英二郎をいずれも平井医院で出産し、右各出産に際しては英二郎出産に際し陣痛微弱、弛緩性出血等があった(この点は当事者間に争いがない。)ほかには格別の異常は認められなかった。また、嘉子は昭和四二年七月一日被控訴人の診察を受けて切迫流産兼妊娠悪阻と診断され、性器からの出血が止まらないため同月一〇日妊娠中絶手術を受けた。

(二)  更に、嘉子は、前記のとおり昭和四二年一〇月初め再び妊娠と診断され、切迫流産による性器出血があったので、以後同月末までに数回注射、投薬による治療を受けた。右性器出血は少量であり、その後分娩まで性器出血はなかった。

(三)  昭和四三年二月二二日(妊娠八か月)の血液検査の結果、赤血球数二六八万個、血色素五五パーセントで貧血が認められたので、被控訴人はビタミンB12、鉄剤を投与し、同年四月一五日まで同様の治療を続け、三月一八日の検査ではヘマトクリット値三五パーセント、四月二六日の検査ではヘマトクリット値三六パーセントであった(右各検査結果は当事者間に争いがない。なお、ヘマトクリット値は二七ないし三〇パーセントあたりが限界値とされ、三五パーセント、三六パーセントは正常域の値である。)。

(四)  分娩予定日が近づいた同年五月七日及び同月二〇日の診察で両足に中等度の浮腫が認められたが、血圧は正常であり尿蛋白も認められなかったので、被控訴人は、軽度の妊娠中毒症と判断し、利尿剤を投与して安静を命じた。なお、嘉子の体重は、五月七日に六七キログラムであったものが同月二〇日には六九キログラムに増加している。

(五)  右二〇日に測定したところ腹囲は一〇二センチメートルであり、被控訴人は同日陣痛誘発剤であるゲブルトンを投与し、翌二一日夕方嘉子は被控訴人の勧めに従って平井医院に入院した。

(六)  嘉子は、翌二二日の朝分娩室に入り、午前九時三〇分から陣痛誘発のために五パーセントのぶどう糖五〇〇ミリリットルにアトニンO五単位の点滴注射を受け、その結果午前一一時三〇分に陣痛が規則正しく発揚し、子宮口は五指開大していた。午後〇時、子宮口全開大して破水し、午後〇時三〇分、吸引分娩により胎児を分娩し、娩出直後の出血はなかった。分娩直後、被控訴人は子宮収縮剤であるメテルギンを静脈注射した。

(七)  新生児は、体重四六五〇グラムの巨大児であり、娩出時にアフガー指数六の軽度の仮死状態にあったが、酸素吸入約二分で蘇生した。

(八)  午後〇時三五分に胎盤が娩出されたが、この時から出血が始まり、〇時四五分ごろから次第に量を増して来た。そこで、被控訴人はメテルギンを追加注射し、更に代用血漿であるマクロデックスD五〇〇CC、ブルトゲン五〇〇ミリリットルを点滴注射し、止血剤アドナ二五ミリグラム五ミリリットル二本を静脈注射する一方、使用人の更級幾子に、小田原市内にある済生堂薬局小西本店(以下「小西薬局」という。)へ連絡して輸血用の保存血(B型)を取り寄せるよう命じた。

(九)  右処置によってもなお出血は止まらなかったが、頸管や軟産道の裂傷の存在も認められず、子宮の収縮の状況も良好であったので、被控訴人は胎盤残留を疑って子宮内を調べ、胎盤が残存していないことを確認し、次に子宮の双手圧迫を試みたが、これによっても出血は止まらなかった。そこで子宮内強填タンポンを施した結果、ようやく出血は止まったが、この間約一五〇〇ミリリットルの血液が流出していた。

(一〇)  右流出した血液が凝固しないところから、被控訴人は午後一時ごろ前記更級に命じて血液凝固検査を実施し、その結果凝固時間が著しく遷延していることが判明したので、フィブリノーゲン欠乏血症と判断してフィブリノーゲン製剤であるフィブリノーゲン・ミドリ一グラム二本を順次静脈注射し、酸素吸入を行った。

(一一)  しかし、止血後も血圧は下降し、午後一時三〇分ごろからショック状態に陥り、午後一時四五分ごろ輸血用保存血が到着して直ちにピストン注入により輸血を開始したが、ショック状態は重篤で、一時五〇分には心搏動が停止し、心マッサージ、人工呼吸、蘇生器による加圧呼吸を行ったが効果なく、前記のとおり午後二時三〇分嘉子は死亡した。

(一二)  嘉子がショック状態に陥ったのち、被控訴人は、血圧の下降に対する処置として、昇圧剤であるノルアドレナリン(一ミリリットル三本静脈注射)、ネオシネジン(一号三本静脈注射、二号二本皮下注射)を使用した。

《証拠判断省略》。なお、乙第四号証(本件分娩に関して被控訴人の作成した「産科記録」という表題の文書)は、本件につき証拠保全手続として行われた嘉子の診療録の検証の際に提出されていないことが右検証の結果によって明らかであるが、《証拠省略》によれば、被控訴人は、保険請求の必要上、従前から入院患者については診療録とは別に産科記録と称する診療記録を作成し、そのうちから保険診療の部分だけを抜き出したものを診療録と同一の様式の用紙に記載してきたことが認められるから、前記のような事実が存するからといって右乙第四号証の証明力を否定すべきものではない。

控訴人らは(イ)嘉子が分娩間近になって自傷した際に傷口からの出血が止まらなかったことがあり、この事実は被控訴人に知らされていた旨及び(ロ)被控訴人は仮死状態で生れた新生児の処置に気をとられ、このため嘉子の出血に気づくのが遅れた旨主張し、《証拠省略》中には右主張に副う部分があるが、必ずしも十分な心証を惹かず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

また、控訴人らは、本件分娩に際して陣痛微弱があったと主張するところ、《証拠省略》にはその旨の記載があるが、《証拠省略》によれば、右記載は分娩誘発のための投薬を保険扱いとするために便宜的に記載されたものであることが認められ、他に右陣痛微弱のあったことを認めるに足りる証拠はない。

四  本件分娩当時における輸血用保存血の供給体制及び本件において被控訴人が輸血用血液入手のためにとった方法についてみると、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  昭和四三年当時一般診療所が輸血用の血液を備蓄することは許されておらず、平井医院の所在する地区においては、献血された血液から輸血用に製剤された保存血は横須賀赤十字血液センターから右地区担当の供給委託指定店である小西薬局に送られ、各医療機関が必要に応じて同店から取り寄せるという体制をとっていたが、当時小西薬局には保存血の配達に従事できる人員が一、二名しかおらず、配達に長時間を要することがあった。

(二)  また、当時は保存血に対する全体の需要が献血量を上まわっており、必ずしも十分な供給をなしうる状態ではなく、そのうえ保存血を輸血に使用できる期間は最大限二週間余、実際に医療機関が入手する段階では一週間又はそれ以下であるのが普通であるため、いったん取り寄せると返品することが困難であって、これら事情から、輸血を必要とするような事態の発生が具体的に予想される以前の段階で不測の事態に備えて予め保存血を取り寄せておくことは一般に行われていなかった。

(三)  本件分娩当日の午後〇時四五分ごろ、前記のとおり被控訴人の指示を受けた更級幾子が小西薬局に電話でB型の保存血の配達を依頼したところ、配達員が出かけていてすぐに配達することはできない旨の返答であった。更級は近くの足柄上病院にも問い合わせたが、B型保存血の手持ちはないと言われた。そこで、被控訴人は、控訴人光雄に自動車を運転して小西薬局まで保存血を取りに行ってもらうことにし、更級を通じて控訴人光雄にその旨依頼した。同人が小西薬局で保存血を受け取り平井医院に到着したのは、前記のとおり午後一時四五分ごろであった。

(四)  被控訴人が輸血のための血液を入手するために右のような手段をとったのは、従前の経験に照らし、消防署や警察に運搬を依頼しても途中の引継ぎ等に時間を要し、必ずしも短時間で到着することを期待できず、また、手近にいる者から採血した新鮮血を輸血するにしても、平井医院の職員にB型の血液型の者はおらず、他に供血者を探して輸血に必要な諸検査をするのでは相当の時間を要すると考えたためである。

また、当時産科開業医では事前に患者の家族等の血液型をチェックし、供血可能者のリストを作ることは一般には行われていなかった。

五  前二項で認定したところを前提とし、これを《証拠省略》に照らして被控訴人に診療契約上の債務不履行又は不法行為上の過失があったかどうかを検討すると、以下のように認めることができる。

(一)  分娩前の処置について

(1)  控訴人英二郎出生の際の陣痛微弱、弛緩出血等及び昭和四二年七月の妊娠中絶手術に先立つ性器出血が本件分娩における大量出血を予測せしめるような事実であるとはいい難い(なお、《証拠省略》によれば英二郎分娩の際の診療録には病名として弛緩出血の記載があるが、具体的に出血の認められた日時や出血の程度の記載はなく、右出血が重篤なものであったとは考えられない。)。昭和四二年一〇月当時にみられた性器出血についても同様である。

(2)  昭和四三年二月当時に認められた貧血は、それ自体分娩時の大量出血を予測せしめるような事実ではない。もっとも、貧血が大量出血をした場合の身体の抵抗力の大小に関係することは考えられるが、右貧血は同年四月までに治癒したものとみられる。控訴人らは、嘉子の急激な体重増加が貧血傾向を示すものであると主張するが、体重増加と貧血との間にそのような結びつきがあるとはいえない。

(3)  昭和四三年五月に認められた浮腫は、妊娠中毒症の症状と認められるが、その程度は軽症であり、また、妊娠中毒症と大量出血とは直接の関係がない。もっとも、浮腫が産道を狭め、分娩を困難にし、子宮筋の過伸展による子宮の収縮不全、弛緩性出血の原因となることは考えられるが、本件の分娩そのものの過程に異常はなく、また、本件の大量出血は、後記のように、弛緩性出血ではなくDICによるものと認められるから、結局前記浮腫の存在は本件大量出血を予測せしめる事実とはいい難い。

(4)  嘉子の分娩時の腹囲は通常の場合より大きかったが、腹囲の大きいことは必ずしも胎児の大きいことを意味するものではないのみならず、胎児が大きいこととDICによる大量出血との間には格別の因果関係があるとは考えられないから、右腹囲の大きさも本件大量出血を予測せしめる事実ということはできない。

(5)  本件分娩が遷延分娩でなかったことは前記の娩出までの経過によって明らかである。

(6)  前記のような保存血の供給体制は、その需給状況並びに後記のようにDIC発生の具体的な危険の存否を予測することが困難であることに照らせば、被控訴人が本件分娩に先立って保存血を取り寄せておかなかった点について被控訴人を非難することはできないというべきであろう。また、輸血のために保存血に頼るのではなく患者の近親者等の手近にいる供血可能者から新鮮血を採取できるように準備しておくことについては、その必要性が今日識者によって説かれてはいるが、一般に大量出血の予測が困難な産婦人科の医療において特に大量出血を予想させるような兆候がないにもかかわらずこれに備えるとすれば、妊婦のうち、相当高い割合を占める者につき、所要の検査を行ったうえでそのような供血可能者のリストを予め作成しておくことが必要であり、少なくとも開業医一般にそのような事前処置の必要が認識されていたとはいい難い本件分娩当時において被控訴人がそのような処置をとるべきであったとすることは、控訴人ら主張のように妊・産褥婦の死亡事由中出血の占める割合が高いということを考慮に入れてもなお、相当であるとは考えられない。

右(1)ないし(6)によれば、本件分娩前において本件の大量出血を予測し、これに対する対策を講じなかった点、又は分娩に伴う不測の大量出血に備えて保存血又は供血者の準備を予め整えておかなかった点において被控訴人に診療契約上の債務不履行又は不法行為上の過失があったということはできない。

(二)  分娩後の処置について

(1)  胎児娩出後の大量出血の原因として考えられる主要なものは頸管裂傷、胎盤残留、子宮収縮不全、DIC(その結果としてのフィブリノーゲン欠乏血症等)であるが、本件では頸管裂傷、胎盤残留は認められず、子宮の収縮状況も良好であった。以上に加えて、出血が急激であること、出血開始から不可逆性ショックに至るまでの時間が極めて短いこと、約一五〇〇ミリリットル程度の、それほど多量でない失血により死亡に至っていること、通常の弛緩性出血(子宮の収縮不全による出血)に対する処置によっては病態の改善がみられなかったこと、血液の凝固障害が存することが確認されていることを併せ考えると、本件大量出血は、DICによるものであったと認められる。DICとは、まず血管内、ことに微小循環系で血液が各所で大量に凝固し(その原因は、まだ十分に解明されていないが、胎盤又は羊水中にある組織トロンボプラスチン様作用物質の母体血流中への移行等による血液凝固系の活性化であろうといわれる。)、多数の播種性血栓を生じた結果、血液中の線維素原(フィブリノーゲン)が大量に消費される一方、線維素溶解酵素による生体反応等もひき起こされ、これらによって血液の凝固障害を生じる現象(「播種性血管内凝固症候群」、なお、被控訴人の診断した病名である「フィブリノーゲン欠乏血症」は、当時DICにつき用いられていた病名である。)であって、基礎疾患から生じる場合と、これを伴わぬ急性型のものとがあるが、本件嘉子のDICは、常位胎盤早期剥離、重症の妊娠中毒症、羊水栓塞、大量の弛緩性出血等の頸著な基礎疾患を伴わない急性型のものであって、現在の医学水準ではその発生を予測することが不可能なものであったと認定するのが相当である。

(2)  DICに対しては、現在では輸血(特に新鮮血による輸血)とフィブリノーゲン(三ないし六グラム)の投与が有効であるとされているが、昭和四三年当時はDICに対する診断・治療の方法に関する知識は開業医の間に普及しておらず、フィブリノーゲン製剤の供給量も不足していて、これを常時用意している開業医は少なかった。したがって、フィブリノーゲン製剤の溶解にはある程度の時間を要するという点を別にしても、被控訴人の投与したフィブリノーゲンの量が少なきに失したことをもって被控訴人を責めることはできない。また、被控訴人が新鮮血を供血できる者を探さず、保存血を取り寄せて輸血をしようとした点も、右のようなDICに対する知識の普及状況や供血可能者を探して所要の検査を経たうえ採血する場合に予想される手数や時間を考えれば、緊急事態の下での判断として不合理なものということはできないし、保存血の取寄せを手配した時期が遅きに失したということもできない。また、取寄せにつき控訴人に依頼した等の点も、認定の事情の下では、被控訴人に責を帰すべき遅滞とはいえない。

(3)  出血性ショックに陥った者に対してノルアドレナリン、ネオシネジン等の昇圧剤を投与することは、収縮している末梢血管を一層収縮させることになり、現在では一般に適当でないとされている。しかし、昭和四三年当時は昇圧剤の使用書に適応症として出血性ショックが掲げられていた例もあり、右の点は必ずしも産科開業医一般に認識されていたわけではなく、また、ショックが重篤で患者の容態が絶望的なものになった場合、万一の僥倖を期待して昇圧剤を用いるということも実際にはある程度行われている。したがって、被控訴人が本件で昇圧剤を投与したことをあながち非難できない。

右(1)ないし(3)によれば、本件分娩後に被控訴人のとった処置についても、診療契約上の債務不履行又は不法行為上の過失があったということはできない。

六  以上によれば、嘉子の死亡は結局疾病の特異性と献血、供血体制を含めた医療水準の問題に帰せらるべき事柄であって、これを回避すべき責任を被控訴人に負わせることはできないというべきであるから、その余の点について判断するまでもなく、控訴人らの本訴請求はすべて理由がないものとして棄却すべきであり、これと同旨の原判決は正当である。よって、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 加茂紀久男 大島崇志)

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